麺は楽しい
黒門吾兵衛「夏の思い出」

初夏、黒門一党は魚津の花火を楽しんだあと、これからの「そうめん」をどうするべきかを話し合いました。

黒門吾兵衛の夏の思い出

その日の午後、炎天下のもと吾兵衛は沖合に浮かんで「瞑想」していました。八十年近くの歴史を持つ「黒門の高級そうめん」は、昔から人々に愛され、夏の風物詩として暑い夏を凌ぐ食として家々や縁日の出物として使われてきました。

毎年夏には一党総出で、そうめんを作り家屋の二階を乾燥場にして、所狭しと室内天日干しをして地元近隣に届けられていたものです。
その後、諸国から「よそものそうめん」が入ってくるようになっても「黒門のそうめん」の人気は衰えることを知らず、冬から夏にかけては他の麺を作る時間を惜しんで「そうめん」は作られました。

黒門吾兵衛の夏の思い出
「もっとおいしいそうめん」を届けたい!
そのためには「手延べそうめん」を届けられないものか?

その頃、諸国を歩く「越中の薬売り」から、南国九州には「手延べそうめん」があり、艶・コシ・うま味は三拍子揃って右に出るものはないと聴きました。

花火のあと、黒門一党にその話をしたところ、皆で南国九州に旅に出かけ「手延べそうめん」を観に行くことになりました。

黒門吾兵衛の夏の思い出

旅から帰った黒門一党は、「黒門の手延べそうめん」の準備に取り掛かりました。

九州の島原で観た「手延べそうめん」を越中に持ち帰って作りたいとは考えたものの、「そのおいしさ」は島原の水や空気が作り出すことを教えてもらい、吾兵衛は、「島原の手延べそうめん」をそのまま仕入れて、越中独自の名前を付けて売り出すことにしました。

「越中独自のそうめんの名前」は?
皆で知恵を出し合って、行き着いたのは「称名の白糸」
日本一おいしいそうめんに「日本一の滝」の名前を付けて売り出すことにしたのです。

黒門吾兵衛の夏の思い出

手延べそうめん「称名の白糸」誕生!

売り出しの前夜、吾兵衛は仏間に籠り、祈りを捧げました。
先祖代々受け継がれてきた「頑固な麺心」は、「太く逞しい麺」ということではありますが、「細くしなやかな『称名の白糸』」にも、その心は注ぎ込まれたのです。

売り出された「称名の白糸」は、以前のそうめんよりも「おいしい」と、町々で評判となり、その後、永く「夏の風物詩」として親しまれることになったのでした。

黒門吾兵衛の夏の思い出